以下是日文維基百科上對此協定的介紹:
石井・ランシング協定(いしい・ランシングきょうてい)は、1917年11月2日、アメリカ合衆国ワシントンD.C.で日本の特命全権大使・石井菊次郎とアメリカ合衆国国務長官ロバート・ランシングとの間で締結された、中国での特殊権益に関する協定である。公文による共同宣言という形式になっている。ワシントン体制への道に通じる対米協調政策の結果であった。
概要:
発表された文書では、協定の内容は、日米両国が中国の領土的・行政的統一を尊重して中国大陸における門戸開放政策を支持することを誓った上で、日本の中国大陸に於ける特殊権益(於満州・東部内蒙古)を認めるものだった。すなわちアメリカの中国政策の一般原則と日本が主張する特殊利益との間の妥協点を決定するものであった。
さらに付属の秘密協定では、両国は第一次世界大戦に乗じて中国で新たな特権を求めることはしないことに合意している。
協定発表時に中国政府(中華民国・北京政府のこと。記事中華民国の歴史を参照)は協定に対する抗議を表明している。
1922年(大正11年)にワシントン会議で調印された九カ国条約の発効(1923年(大正12年)4月14日)により廃棄された。
締結に至る背景:
第一次世界大戦のなか、決して激戦地とは言えない東アジア・南洋諸島において参戦した日本が「連合国」として中国大陸に対して権益を拡大しようとすることは英仏米の連合国は快く思わず、その牽制としてアメリカ合衆国国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが「ブライアン・ノート」を発表することとなった。
そこで日本は融和策としてヨーロッパの連合国に対してはロンドン宣言に参加することや、地中海への海軍派遣などを提案し、アメリカに対しては中国大陸全土に対してはそれまでにアメリカが表明していた中国政策の一般原則を認めつつ、満蒙に日本の権益を認めさせようとする妥協策を提案した。この権益とは「経済的」権益に限るのか「政治的」権益を認めるのかについては曖昧であった。